サトイモはどこから来てどこまで行ったのか

こんにちは。清水園芸です。今回は日本人にとって馴染み深い根菜、里芋のお話です。

はじめに

里芋は煮物や味噌汁によく使われる日本人に馴染み深い食材のひとつです。独特の粘りと風味は他の食材にない特徴と言えます。

里芋の歴史も古く、遡ると縄文時代には栽培されていたと言われているくらい大昔から栽培されてきた作物です。今回は一歩踏み込んだ里芋の解説をします。

縄文人も育てていた里芋

日本での里芋の栽培の歴史は、縄文時代まで遡ります。

縄文時代といえば、狩りや漁をしたり、野山の木の実などを集めて食べて暮らしていたイメージですが、実はそれだけでなく、栗の木を植えたり、ヒエや豆を育てたりという農耕的なことも行われていたことが分かってきました。

その作物の中に里芋もありました。縄文人が育てていた里芋は、日本の農作物で最古のもののひとつです。

里芋のやってきた道、日本で行き着いた先

里芋は、実はもともとは熱帯地方の植物です。

中国大陸南方や、東南アジアのあたりで広く栽培されている「タロイモ」と里芋は同じ作物です。日本へは、南の熱帯地方から人が日本列島に移住してくるときに、一緒に種イモを持ってきたのでしょう。

熱帯地方でのタロイモ栽培は、道具をほとんど必要とせず、種イモを植えておくだけで育ちます。日本では村や里で栽培されることから、里芋と呼ばれています。種イモは親から子へ伝えられて、新しい土地へ移住するときも大切に持って行ったのではないでしょうか。

里芋は熱帯地方の作物なので寒さは苦手です。しかし、日本に伝わってからどんどん日本列島を北上し、熱帯の気候とはかけ離れた寒冷な土地でも栽培されれいます。栽培の北限は、日本の岩手県となっています。世界中で日本の岩手より北では栽培されていません。

里芋と日本文化

日本では米の栽培が重視されていったため、文化的に行事などは米づくりに関連したものが多くなりました。しかし、縄文時代からの里芋栽培も、文化的にかすかに足跡を残しています。

お月見のときに里芋を供えたり、食べたりするのは昔から里芋の収穫を祝う行事があり、その文化と合体したからではないかという説があります。また、現在の山形県や宮城県でポピュラーなイベントの「芋煮会」も、里芋の収穫を祝って食べていた行事だと考えられます。

江戸時代の庶民のお祝い事や人寄せには欠かせなかった「煮っころがし」も里芋の料理です。このように日本各地に里芋を大事なポイントとする文化があります。

里芋は地味なようですが、大昔から日本人は大好きな食べ物だったのではないでしょうか。縄文人は、秋に里芋が寒さで枯れる前に収穫して、祝って食べる収穫祭を行なっていたのかもしれませんね。

まとめ

日本で最古の作物のひとつである里芋ですが、東北地方という本来栽培ができないような寒い土地にまで伝わり、今に続くまで栽培が続いています。

これは日本人が里芋が大好きだったから、とも言えるのではないでしょうか。栄養的には比較的低カロリーで、食物繊維が多いので現代人にも適した食材です。

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